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もう日盛りの時刻はとつくに過ぎていたとは云へ、半ば傾いてそのためによけい濃くなつた日ざしは河原町の上に、それに沿つてゆるく曲つた川、周囲の山地の上に、こゝぞといふ風に照りつけていた。
と、加藤巡査は声を落した。彼は、さきほど事が容易でないと思つたから、とり敢あへず本署に電話をかけた、署長はじめ自動車で来ると云つていたから、まごまごしているうちには着くだらう、さうなるとこのまゝでは納をさまりがつかなくなる、怪我人を出さぬうちに事が静まるのは自分の望むところであるし、皆さんの方もいゝではないか――。
温泉は街道から幾折れかの石段で溪ぎわまで下りて行かなければならなかった。街道もそこまでは乗合自動車がやって来た。溪もそこまでは――というとすこし比較が可笑おかしくなるが――鮎が上って来た。そしてその乗合自動車のやって来る起点は、ちょうどまたこの溪の下流のK川が半町ほどの幅になって流れているこの半島の入口の温泉地なのだった。
胡坐をかいた道平は今膝小僧までまる出しにしていた。それも日に焦げている。
「今晩、寄せてもらつてもえゝですか」
そして、食卓に突き立てたまゝになつている短刀を、火箸か何かつかむやうな、無造作な素速い手つきで抜きとると、鞘におさめて腹帯の内側へ入れながら、
心中もその宿を出て、近所の海岸から入水するか、山や森へ入り込んで劇薬自殺を企てるたぐいは、旅館に迷惑をあたえる程度も比較的に軽いが、自分たちの座敷を最後の舞台に使用されると、旅館は少からぬ迷惑を蒙こうむることになる。
「閉口でしたな」
御大典とそれにつゞく奉祝日は瞬またゝくまに過ぎ去つた。
「あの、さきほど往診に出かけましたさうで」
房一は急いで膿盆をひきよせた。
「いや、私はすぐこの近くで医者をしとる、高間といふ者ですが」
いつもはその不器用な容貌の蔭に眠つている不敵さ、だが何か圧迫を加へられると忽ち跳ね起きて来る反撥する房一の気質は、同時に圧迫しようとかゝるものを嗅ぎつける点でも敏感であつた。その敏感さで房一は相沢が一方では彼を賞ほめ上げながら逸早く往診を求めたのはその恩恵と好意によるものだと知らせたがつているのを見抜いた。こんなことになると、房一はふだんよりなほ茫ばうとした眠たげな眼つきになる。その目でちらりと相沢を眺めたのである。動物達の間でよく起る出会つた瞬間に相手の方を見究めようとする、あの本能的なすばやい判断力の点では、房一は生れつき得手だつたが、困苦の暮しの間にそれはなほ鋭く力あるものとして育つた。理性といふよりはむしろ動物的なこの嗅ぎつける力のお蔭で、今房一はたゞ鼠のやうな眼をした小柄な男を見ただけであつた。それで十分であつた。房一は前より落ちついて相沢を気にかけなくなつた。